よこさん69歳の日記

温かなコミュニティを育て、コミュニティが繋がることで世界を平和に❣️

高校生の時「世界を平和にする」ことを決めた

1969年10月21日

その当時、国際反戦デーと言われていた日

 

札幌の大通り公園は 1丁目から8丁目くらいまで 多くの人で埋め尽くされていた

 

私は 当時高校2年生

「高校生ベ平連」の一員として

ベトナムに平和を!市民連合」高校生チームのデモに参加していた

 

遠く離れたベトナムの地で アメリカと北ベトナムの戦争が激化していた頃のことだ

 

「大人は なんで戦争という愚かなことをするんだろう?」と ごくごく素朴な疑問を持ったことがきっかけで 友人に誘われて

ベトナム反戦デモに参加するようになった

 

と、言っても デモの後に 喫茶店

友達とおしゃべりしてソフトクリームを食べることが 半分以上の目的だったような気もする

 

そんなことを繰り返しているうちに

1969年10月21日の記念的な日を迎えたわけだ

 

今思うこと…

あの大勢の大人や大学生たちは 今どうしているのだろう?

みんな元気に 世界平和活動しているかなあ…

 

実は翌年の1970年10月21日の大通り公園には まばらな人しか参加していなくて

「あの大人達は どこに行ってしまったのだろう」と、私としては かなり淋しい気持ちになった

 

昭和3年生まれの父は、私と同じく高校生の時、予科連という特攻隊組織に志願して 命を捨ててこの国を護ろうとした 静かな熱血漢だった

 

そんな父は 戦争反対のデモに参加する我が娘にこう言った

 

「道民の税金で賄われている高校(札幌西校)に通いながら 世の中を変えようというのは 筋が違う。本気なら 高校を辞めて革命家になりなさい。」

 

父は そんなふうに私を挑発して、私の本気度を試したような気がする。

 

父は翌年(昭和20年8月)16歳で札幌に帰ってから 北大農学部で農業経営を学んだ

 

その後、農業研究者として 北海道農業、ひいては日本の食糧自給を護るために 私的な時間は 一切とらず 仕事に打ち込んでいた

 

戦争で若くして亡くなった仲間の分もという気持ちだったのかと思う

 

草地の研究と酪農家の実践指導に没頭していた

 

3年くらいでその土地の農業はわからないと言って 国家公務員の研究者なのに、転勤拒否して、したがって出世も諦め 一生を一研究者として農業研究に捧げた

 

天晴れが3乗くらい尊敬する父❣️

 

そんな父の姿を見ながら 大人になった私は

せめて「世界を平和にする」ミッションを一生忘れずにいようと決めたのだ

 

相変わらず、ソフトクリームも 友達とのおしゃべりも大好きだしね

 

まもなく 50年目の10.21 国際反戦デーがやってくる

 

戦争のない平和な世界を目指す、本気の仲間と 戦争の原因にもなる石油など地下資源に頼らず 地上資源(ゴミ)で 経済を回すBRINGに出会い 世界平和のミッションに目覚めた高校生から 50年目の2020年を迎えた

 

今年、特定非営利活動法人SDGs村・北海道を設立して 2030年のSDGsの達成目標の年まで

引き続き楽しく、本気でミッションに取り組もうと思う

 

時々 ふうー〜っと 軽いため息が出る時もあるけれど 基本 自分の機嫌は自分でとって

仲間を信じて より良い世界をつくるお手伝いを続けていけたら 人生本望かなあ…

 

10月31日は 札幌市教育文化会館小ホールで

食と微生物に関する特別なイベントを主催します

 

ぜひ いらしてくださいね🤗

 

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