「関係生命論」というキーワード
私が大好きな著者の一人に山口庸平さんという若者がいます
山口さんは『新しい時代のお金の教科書』という本で、まさにお金に関する新しい考え方を提示されました
(表層的なお金の話じゃありません)
最近のFBでは、こんな発言をされました
ちょっと長いですが 勝手にご紹介します
「来たる2020-2050年の30年間は意識社会であり、それに備えなければならない。
意識とは物理用語では「ヒカリ」だが、それは僕らが知っている光とは違い、その定義は極めて激しい動きをする存在のことを指す。その意識(光)が少しづつ凝固していき概念→情報→物質となる。物質は簡単に目に見え、情報は頭で理解できる、概念も直接的に知覚できずとも共有することができる。例えば貨幣価値の概念は社会に共有されているから、経済が貨幣で回っている。
意識社会はより高度な知覚能力で支えられる社会のことである。
人間は言ってみれば意識の半凝固体である。僕たちが悩む「自分」という存在も所詮は純粋意識の派生物に過ぎない。個体が意識の半凝固体である以上、そこには情報になりかかっている知識・偏見がまとわりついていて僕たちの個性を形成している。意識は偏在していて地続きなので個体など本来はないのだが物質・情報社会では目に見える「個人」を単位として社会が形成されてきた(個人の人権、民主主義など)。
意識社会では周波数の合った意識体が自然にシンクロするし出会う。時空間は問わない。意識は次元を超えるから自ずと時空を歪ませる。自他の垣根もない。利他的行動は意識を広げるから自己の純度を上げる効果を持つ。つまり善を為せ、は道徳でなく科学的根拠を持つ合理的行動になる。
意識社会の楽な生き方はできるだけ眼を瞑り、五感に頼らず知覚能力を高めることだ。行動するときは、頭や論理や情報の分析の結果でなく、直観が背中を押すある種の「必然性」に基づいて動くことだ。この辺りは今はまだとてもデリケートな表現が求められるが次の30年で意識は科学化され、より一般化するだろう。それが待ちきれないのならばまずはモノを捨て情報をシャットダウンし、勇気を出して失敗を重ねながらも直観的判断を試みその恩恵を受けながら意識社会の生き方を自分で実践してゆくしかない。」
僭越ながら とても納得がいきます
むしろこんな実験をしながら30年過ごして来ました
なので経験的に 次の30年が「意識社会」だという確信があります
そして そこに突入している人が どんどん増えている現状!
人口比で言えば まだ数%かもしれません
でもこの変化の流れは 決定的です
だから BRINGや SDGsや ツクツクが誕生したのだと ワタシ的には 思っています
ワタシの捉え方 ヘンタイなので 大きな声では言いませんが…(笑)
人々の「関係生命論」なる世界の真実が(科学ではまだ、解明されていませんが)
これらを生み落として 私たちの直感に響く…
ということだと思っています
今度 「関係生命論」について 話したいなあ…
そういう対話こそが 私にとって「ほんとうのしあわせ」のひとつなので…