よこさん69歳の日記

温かなコミュニティを育て、コミュニティが繋がることで世界を平和に❣️

1995年2月11日、友を看取った日

1995年2月11日

建国記念日

大切な友人を見送った

私42歳、友人47歳

どちらも若かったなあ…

 


1985年、南3条西3丁目の小さなビルの4Fで、ピアノバーSlow  Boatを共に始めて

ちょうど10年、彼女は病で旅立った

 


進行性の癌で 手術後約1年が

瞬く間に過ぎていった

 


私は友人のお陰で、できる限りのことを

完全燃焼するという貴い経験をさせてもらった

 


なんか そういう時って頑張れちゃうんだよなあ…

 


私が毎日「大丈夫、大丈夫!」と根拠なく言い続けて、不思議と楽しい雰囲気の中、病院で寄り添った日々

 


看護師さんたちや入院患者さんと

まるでコミュニティのように暮らした数ヶ月

私はベッドを借りて 後半の4ヶ月病院暮らをした

 


亡くなる1週間ほど前の朝

友人はこう言った

「なんだかダメなような気がする、死にたい訳じゃないけど もう身体が限界だ」

 


私はその気持ちが痛いほど良くわかった

「そうかもしれないけど 死んでも大丈夫、あの世で自由になるからね」と言うと

にっこり笑って

「本当に ありがとうね」と握手を求めてきた

 


それから この世でのお別れの乾杯をして ほんの少しの時間、楽しい会話が続いた

 


友人「お葬式とか 暗くて嫌だからSlow Boatで できないかなあ…」

私「できないことないけど 狭いんじゃない?」

友人「そんなに来るかなあ…(笑)」

 


それから1週間ほど、彼女は 病院でお世話になった人たちや 友人に感謝の言葉を伝えて

2月11日の朝、静かに旅立った

 


あれから26年の月日が経つけれど あの濃密な1年間の記憶が 今も私の心に大切な大切な宝物として消えずにあり続けている

 


5歳年上の友から 15年の付き合いで、いろいろなことを学んだ

 


・かっこつけずに自然体で人と向き合うこと(自己開示の大切さ)

・お節介でも 気になる人には寄り添い続けること

・希望を持って前へ進んでゆくための勇気と覚悟とユーモア

 


どれほど自分のものにできただろうか?

 


いや まだまだだからこそ 私は今も元気に長生きして やり残しの課題の経験を与えてもらっているのだと思う

 


建国記念日の今日は、そのことを確認する日

 


あの世で再会する時に、こちらで実現した、夢と志と面白い話をお土産にしたいなあ…

 


コロナ禍の中 入院中の方々、医療関係の方々が 出来る限り平穏な日々であるよう 今は

祈り続けるしかできないけれど…

 

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47歳で旅立った友人