67歳の今を生きる
引きこもっていた10代〜20代の頃
つまらなそうに生きている大人を見るのが 本当に嫌いだった
見るたびにウンザリして バスから降りたこともあるくらいだ
「大人の現実」が信じられなかった
尊敬できなかった
私の人生で 傲慢の極地だった時代!
自分自身が人生の目的を見つけられず
「つまらなそうに生きている」典型なのに
いやだからこそ そんなふうに生きている大人に イラついていたのだと思う
若さゆえの傲慢と言ってしまえば 確かにそうだった
小難しい本ばかり読むものだから 頭がいいわけでもないのに 一応理屈は考えられて
それも良くなかったと今は思う
たまにバイトに行くと 主婦の人たちから
「なんで こんなバイトに来てるのー〜?
そんないい高校出て…」と言われて
(その時は 中央市場の玉ねぎカットのバイト)
西校がそんなにいい高校とは ちっとも思っていないものだから そんなことにいちいち反発して 私も 相当なお馬鹿だったと思う
その頃 暇にまかせて読んだ本、聴いた音楽、観た映画、独学で弾いていたピアノ…
そして温かな家族との会話、たまー〜に
かまってくれた数少ない友人
そんな素晴らしくも有り難いことに影響を受けながら なかなか社会に出ていけなかった
今となっては そのすべてが懐かしく、恥ずかしく、大切な思い出だ
まあ、50年も経てば 「全てを良き思い出」とすることができるのだと思う
今 毎日を元気に 幸せに 大好きな友人や仲間に囲まれて ご機嫌に生きている
そんな日々を 50年前の私は まったく想像も出来なかった
「つまらなそうに生きている」ように見えた大人たちは 日々の生活や仕事、子育てなどと格闘したり 悩んだり、時にはウンザリしながらも決して諦めず生きている愛すべき人々だったのだ
自分の人生を真っ向勝負で生きている素晴らしい大人たちだったのだ
だから 今 どんなに嫌なことがあったり
苦しい出来事があっても 決して自ら死んだりしないでネ 若者よ…と思う
「時間は日薬」と教えてもらったことを
67歳の今 思い出している
そして
身近に温かなコミュニティを創って
大人も子どもも 男も女も
みんなみんな 愛する人たちと自分自身の人生を生ききることができるようお手伝いをしたいと思う
そう、「小さなカフェが世界を変える」
そんな毎日を過ごして 一番 幸せや感動をもらっているのは 私自身かもしれない
そんな毎日が世界の平和に繋がり、SDGsが2030年に達成されるよう 楽しみながら今を生きてます
写真は 両親を亡くして 私が人生で一番しっかりしていた頃です(笑)