よこさん69歳の日記

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志という 素敵な言葉

いつからだろう

「志」という言葉が大好きになったのは…

 

父の生き方を見てきて、「志」という言葉が父以上に似合う人はそういない…と思う

 

父は 昭和3年生まれ

千葉県の香取神宮で生まれた

香春(よしはる)と言う名前は、香取から付けられたと聞いた

 

その後 私が大大大好きな祖父 宮澤春水(はるみ)が 宮司を継がずに 北海道に舞い戻り

農業研究者になったので 父も北海道、札幌に住むことになった

 

父には たったひとりの妹がいた

宮澤ひろ子…私の生みの母

 

母は 21歳で道庁の農政部に勤めていた田中和夫と結婚してすぐに私を産み、23歳の時に 夫の東京へ出張に同行して

洞爺丸台風の海難事故でともに亡くなり

そして私が宮澤の家に遺されたというわけだ

 

その時 宮澤香春は 26歳、富良野高校の生物の教師をして

たいそう楽しく青春を謳歌していたらしい

 

しかし彼は すぐに仕事を辞め札幌に戻ってきてくれた

私の祖父母と一緒に 遺された2歳の私を育てるため…

 

26歳、独身で 妹が遺していって子供の親になる

 

宮澤の家族たちの 芯のある優しさ、勇気ある行動力、さすが代々神道で鍛えられた実直で誠実な在り方、決して他人を悪く言わない態度

 

私は きっと2歳の時から いや生まれた時から 言葉ではなく 宮澤の独特の空気を感じて育ってきたように思う

 

何が大切かを 生き方を通して教えてくれた父や家族

 

かつて16歳で 国を護る志で、死を覚悟して特攻隊になるため

霞ヶ浦海軍兵学校へ行った父

 

翌年の敗戦後 

亡くなった多くの若者の慰霊のために

神職を学び 毎日欠かさず祈っていた父

 

国立の農業試験場に勤め

3、4年で 全国転勤するところを

「3年くらいで その土地の農業はわからない」と 転勤拒否して 一生、北海道農業のために尽くした人生

したがって 退職まで主任研究官止まり

 

でも人一倍努力して たくさん北海道酪農の草地研究論文を書いていた

 

働きながら 学び直すために 夜学に通い

母校の北海道大学で 博士号を取得した父

 

私は 父母や祖父母たちの 何十分の一かでも 志ある生き方ができているだろうか?と

時折 振り返る

 

いや まだまだ

できていないことだらけだ

 

でも、だからこそ

志ある生き方を身をもって教えてくれた父に感謝して 命ある限り 父の志ある生き方に近づきたいと思う

 

祖父は 宮司を継がずに どんな思いで北海道に戻り 父を育てたのだろう

 

間違いなくその志が 父という人間をつくったのだと思う

 

父は 真面目だけでなく とても面白い人物だったなあ…

 

写真は 私が4歳の時に 父と結婚して

大きな愛で 私を育ててくれた育ての母です

 

父も母も大好き💕

 

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